Column
Gautama "Buddha" Siddhartha

ブッダ


---ブッダ---
1974年に手塚治虫により描かれた
ブッダの生涯を綴った漫画。
(虫プロは現在も存在しますが、
紆余曲折有り、ブッダの版権は
現在は手塚プロにある様です。
ブッダ全巻を確認したい方は
手塚プロのサイトへどうぞ。)
 私は別にどこかの宗教団体員でもなんでも無い。むしろ「どんな宗教団体だろうがクソくらえ」と思っているくらいである。まぁ、しいて言えば仏教徒になるのだろうが、それは、ゴータマ・ブッダという人物がいかに素晴らしい人間だったか、を巨匠手塚治虫氏が描いてくれたからである。例えば、信仰深い人間に「君はどの神を信じているのか?」と訊かれたら、迷う事無く“ゴータマ・ブッダ”と答えるだろう。しかし、ブッダは実在した人物である。普通の人間だった事を忘れてはならない。

 私が手塚治虫氏の漫画“ブッダ”を知ったのは中学生の頃である。当初は、図書室に置いてある漫画の1つ、としか捉えていなく、休み時間や昼休みを利用してよく借りて来て、授業中に授業も聞かずに読んでいた。そしてそれ等の一部を借りたまま返さずに卒業してしまった。家に残っていた“ブッダ”をもう一度読み返してみたのは、高校に入ってから暫く経ってからの事である。
 高校生ともなれば、恋愛もするし将来の事も考え始めるわけで、若いながらも苦悩や迷いが発生するものである。そんな中で読み返してみた“ブッダ”に非常に感銘を受け、また、前後の物語も見てみたかった事から文庫本(12巻セット)を買い、今でも枕元に置き、就寝前にたまに読んでいる。

 この物語は、手塚治虫氏がブッダの生涯を仏典から大まかに抽出し、それに枝葉を付け加え、現代の人間にとても読み易い様に描かれている。手塚治虫氏本人は最終巻のあとがきにて、若干事実が歪められてしまったかもしれない、と語っているが、「人間の本来あるべき姿」というブッダが説いた部分は、1つも歪められる事無く描かれている。

 ブッダが生きた時代と現代とでは、あまりにもかけ離れてしまっているが、本来人間が持たなくてはならない一番必要で重要な事は、当時も今も変わらないのではないだろうか。人間は自然の流れに身をまかせて生き、そして生涯を終える事がどれだけ素晴らしい事でどれだけ正しい事なのか、をブッダは亡き後2000年以上経った今も我々に説いてくれている。
A Tragic Tale

StarWars


---StarWars---
全9作の原作からなる物語。
1977年、第1作目(EPISODE IV)が公開。
その後、'80年(EPISODE V)、'83年(EPISODE VI)、'99年(EPISODE I)、'02年(EPISODE II)、と公開されていき、'05年にはEPISODE IIIが公開予定。
 1977年、GeorgeLucasが世に送り出した、とある1つの銀河系の物語、StarWars。現在までの25年の間に全5作品をリリースし、多くの人々に知られている。原作はトータルで第9話まであり、その内の第1〜5話が既に映画化され、第6話が'05年に映画化される予定だ。第7〜9話はGeorgeLucas本人が映画化する予定がない意向を示しており、映画化の実現は薄いだろう。
 この映画は物語の内容から撮影技術まで幅広く注目を集めた映画だが、今回は物語の内容について批評をしたいと思う。

 この映画の内容を簡略化して言えば、正義と悪の戦い、という図式になる。戦争や争い事の物語には必ず悲劇がついてまわるが、StarWarsも例外ではない。むしろ、StarWarsは悲劇の映画と言える。物語の核となる人物に次々と起こる多くの悲劇と少しの幸運、又、全作品に共通する登場人物の緻密な設定。
 第1〜6話までで、本当にハッピーエンドと思われるのは第6話だけであり、それ以外は必ず裏で悲劇やその前兆が控えている。又、フォース(Force)と呼ばれる超能力や現実にはあり得ない架空の技術を仮定し、物語の背景に存在する微妙な矛盾を上手く消している。これがリアリティを増幅させ、見る者を物語の中へ誘い魅了させる要因になっていると思われる。その反面、それを知らないと物語の本当の面白さを垣間見る事が出来ないと言える。

 どんな映画や物語にも共通して言える事だが、原作者の意図を理解し感じて見なければ全く無意味だ。それを踏まえて考えると、GeorgeLucasが頭の中で描くこのStarWarsという物語は非常によく出来ている。第4話から公開されたという事を考えると、中途半端な設定や後付けで語れる物語では無いと言う事が分かる。ただ、単作として見た時、説得力に欠ける部分があるのは否めない。しかし、これは物語である。ドラマを1作飛ばしで見たら誰でも理解出来ないだろう。是非とも緻密に設定された背景も併せて理解し全作品を見て頂きたい。May the force be with you.
Unfortunate

Opcode Systems Inc.


---Opcode Systems Inc.---
1999年、Gibson Guitar Corp.に買収。
 1999年、Gibson社に買収され、開発がストップしたにも関わらず、未だに根強い人気と定評のある操作性を兼ね備える、MIDI/Audioシーケンスソウトウェア“Vision”を世に送り出したOpdode社。その軌跡はまさに不遇そのものだろう。

 1990年代初頭、DTMの先駆的シーケンサーであった同ソフトは、プロ/アマ問わず多くの人々から支持を得た。その後、DTM業界の飛躍的な発展により、開発コストの上昇などで経営が困難になりGibson社に買収されたが、それはライバルメーカーも例外ではない。Digidesign社、emagic社、Steinberg社等も次々と他企業に買収されていき、勢力分布が大きく変わってきている。
 だが、Opcodeが不遇とされる要素は開発のストップである。Digidesign社、emagic社、Steinberg社等は買収された後も着実なアップデート/新製品開発を続け、現在シェアを拡大していっている。その反面、Gibson社は特に何もせず、先頃、ハードウェアの発表を某楽器ショーにて行ったがそれ以来音沙汰なしである。更に、Mark Of The Unicorn社のDigitalPerformer(以下DP)に、Visionが素晴らしいとされる所以の機能、グラフィックエディターの権利を譲渡したとまで言われている。確かにDPはバージョン3になった時点でツールパレットが非常にVisionライクになり、多くのユーザーが乗り換えたとされる。
 また、MIDIドライバーソフト“OMS”も重要である。OMSは多くのシーケンスソフトがMIDI機器とのコミュニケーションを取る為に導入している規格だが、Opcode社の開発のストップにより、各メーカーはOMSの最終バージョンに合わせたり独自の規格を作るなどの策を取らざるをえなくなり、大きな煽りを喰っている。

 Opcode社は現在、Gibson社の子会社的な位置付けで、未だにしぶとくHPも存在しているが完全に開店休業中である。既にユーザーサポート体制が無くなり、元正規ユーザーの為にStudioVisionProとVisionDSPをフリーダウンロード出来る様にしている始末。Visionの復活を僅かな希望と共に求めているユーザーは実際にまだおり、いつしかふとOSXに対応してくれるだろうとの願いを持ち、未だに使用を続けているユーザーに対して、Gibson社はいかなる行動を起こすのであろうか。それともこのまま握り潰してしまうのだろうか。既に私はDPに乗換えているが、ある種の憤りを隠せない。
Jaguar for Macintosh

MacOSX Jaguar 10.2.4


---Apple MacOSX---
堅牢なFreeBSDをベースにした
Macintoshの次世代OS。
 Apple社が開発した次世代オペレーティング・システム(以下、OS)、OSXが発表されてから約3年が経とうとしている。UNIXのFreeBSDをベースにしたOSXはFreeBSDの堅牢性をそのまま引き継ぎ、Macintoshに完全なマルチタスクをもたらした。

 今回、遂にそのOSXをインストールした訳だが、まだ仕事では使う状態ではなく、あくまで試験的な段階なので、それを踏まえてコラムとさせて頂く。
 まずマシンのスペックだが、ウチのMacはG4/450Mhz Dual、RAM640MB、VRAM16MB(ビデオメモリ)で、OSXではほぼ完全なマルチプロセスが可能になっている為、少なく見積もってもシングル800Mhzに相当すると思われる。しかし、Aquaインターフェイスの大幅な変更に伴い描画処理能力をかなり必要とし、CPU以外にVRAMの影響が大きい。CPUのみならず、ビデオボードにもかなりの負荷がかかっていると思われる。その為、基本的な動作.....Finderの動作や文字入力においても、OS9.xと比べてしまうと若干ではあるが、ワンテンポ遅い。スムーズに動作する為には、G4/1Ghz以上、VRAM32MB以上、この位ではないとスムーズな作業、ましてや仕事で使用するにはかなり厳しいのではないだろうか。
 次にシステム構成についてだが、FreeBSDベースになった事で、今までのOS9.xからすればかなり複雑になった。Terminal(コマンドプロンプト)を理解すれば徐々にシステム構成を把握する事が出来るが、OS9.xまでの様に目に見えてハッキリしていたドライバーファイルの構成などが複雑になり、キッチリとした管理をしたい場合は相応の知識が必要になった。
 また、新機能/新規格において見た目は大幅に変わったが、設定に関しては特に難しいものはあまりない。しかし、サウンドに関しては2つの大きな規格が出来た。“CoreAudio”と“CoreMIDI”である。“CoreAudio”は24bits/96KhzをサポートしAudioUnitsと言うDSP(Digital Signal Processor)規格を介している。また“CoreMIDI”は複数のサードパーティ製のMIDIドライバーを使用せずに、一括でMIDI機器を管理する規格である。Apple社がこれ等の規格を提唱し、開発していく意味合いは非常に大きい。是非とも頑張って欲しいものである。

 あくまで試験的なインストールだったが、今回のインストールを総括すると、「まだ仕事では使えない。」と言える。安定性は抜群であり完全なマルチタスクなので、今までによくあった「道連れフリーズ」などはほぼ無いが、とにかく動作が重く、所々に垣間見えるバグが気になる。OS9.xでの作業の様にスムーズに違和感なく使える様になるには、やはりもう少し様子を見て、更にマシンを変えなければならないと言うのが正直な所だろうか。
It's Just Rock.

WhiteSnake 2003


---WhiteSnake---
DavidCoverdale率いるロック・バンド。
2003年1月の新生WhiteSnakeの
最新ショット。
DavidCoverdale(Vo)
Doug Aldrich(g)
Reb Beach(g)
Timothy Drury(key)
Marco Mendoza(b)
Tommy Aldridge(dr)
 昨今のハード・ロック音楽の状況は、ここ数年間でより一層寂しいものになってしまっていた。70〜80年代に登場し多くの人々を魅了した本物のハード・ロックは、今や風前の灯火である。ヘビー・メタルと言われる音楽とは一線を画し、主にブルースを基調としスピードと重さのある音楽がハード・ロックと呼ばれる音楽であるが、80〜90年代から徐々にヘビーさとビジュアル面を全面に出したヘビー・メタルの台頭で、あまりビジュアル面に固執する訳でもない、ブルースを基調とした渋みのある骨太のハード・ロックは隅に追いやられてしまった。

 WhiteSnakeは元々、DeepPurpleで歌っていたDavidCoverdaleがバンドを辞め、ソロで始めたプロジェクトであった。バンドとしてのWhiteSnakeではなく、あくまでCoverdaleのソロとしてのプロジェクトだったので、バンドとして始まりマンモス・バンドになってからもCoverdaleのブルースを基調とした渋い音楽性がそのまま前面に出ていた。時代が進むにつれ、メンバーやサウンドも様変わりしていったが、Coverdaleが作る音楽の性格は変わらずであった。それが結果的に時代や状況に揉まれ解散という事態になってしまった訳だが、それは何もWhiteSnakeだけではない。
 多くのハード・ロック・バンドが時代に揉まれ消えていった。ハード・ロックが総て消えた訳でもないが、残っているバンドはビジュアル面やセールス面に走ったり開店休業中だったりで、これと言って特にリードしていく様なバンドが無い事は確かで、本物のハード・ロックという音楽を聴ける機会が激減したのは否めない。

 DavidCoverdaleには素晴らしいアルバムで現代にハード・ロックを蘇らせて欲しいと切に願うばかりである。劇的な展開と絶妙なメロ、最高のギターリフとシャウトで疾走するビート。現代にもう一度ハード・ロックの指標を立ててもらいたい。
Look up at heavens

1994年5月1日
サンマリノGP決勝朝撮影


---Ayrton Senna da Silva---
1994年5月1日サンマリノGP決勝7周目
タンブレロ・コーナーにて他界。
 あの日の朝、彼は何を考えていたのだろう。
 雨が降りそうな時やレース前、彼はよく空をもの寂し気に見つめていた。それは誰にも分からない、彼の至福の時だったのかもしれない。聖書を持ち歩くほど信心深い彼は、よくプレスに向かって“神”の存在を語った。
 前日、予選中に事故死したローランド・ラッツェンバーガーの死を受け、親友であるF1専属医のシド・ワトキンス博士が「もう明日のレースには出るな。今すぐ引退して私と一緒に釣りをして余生を送ろう。」と助言した。しかし彼は「そうしたいが、でも僕は走る。」と返したそうだ。

 あくまで私的な見解になるが、私は彼の苦境に追いやられた時の神懸かったレースを幾度か見た。それは何か死を予感させる程のものであり、彼の類稀なるドライビング・テクニックとも全く違った要素だった。
 1993年、小雨の降るドニントンパークでのヨーロッパGP。マシン的に到底適わないポールポジションのウィリアムズのプロストを5位グリッドスタートにもかかわらず1周目でパスし、そのまま優勝した時だ。あの時の彼のスタート時のセッティング、レース中の選択、何をとっても“予知”していたと思わざるをえない。
 更に、1993年、日本GP。スタート時、快晴にもかかわらず、決勝レース出走全車中、彼だけドライ・セッティングとウェット・セッティングの中間をチョイス。ダミーグリッド上にてピットレポーターの川井氏さえも疑問に思ったこの選択。結局、中盤スコールがコース全体を濡らし、トップ奪取の後、優勝。彼はこの日本GPにおいても、もの寂し気に空を見つめていたのを憶えている。

 .......やはり彼はどこかで死を悟っていたのだろうか。
 あの日の朝の彼の表情。死と隣り合わせのレーシング・ドライバーとして総てを悟りきった目で天を見つめ、誰にも邪魔されずにこの世で最後の至福の時を過ごしていたのだろう。今まで多くのドライバーが存在し、これからも多くのドライバーが存在し続けるであろうが、天を仰ぎ神と接触していたドライバーは彼くらいだろう。あの日は来るべくして来た日だと私は今でも思っている。

Back